タキシード(ディナー・ジャケット)の起源と特徴
起源と発展
タキシードは19世紀後半に登場した比較的新しい礼装です。イギリスでは「ディナー・ジャケット(Dinner Jacket)」とも呼ばれ、当初は格式ある燕尾服(白タイ)に対する略式の夜間礼装として位置付けられました。その起源には有名な逸話があります。英国の皇太子(後のエドワード7世)は、喫煙室で着用されていたベルベットのスモーキングジャケットを改良し、黒のウール地に拝絹付きの短い上着を仕立てました。
この「尾のない夕食用ジャケット」は当初男性だけのクラブや自邸での夕食時に限られていましたが、1886年にアメリカ・ニューヨークのタキシード・クラブでグリスワルド・ロリラードという青年が燕尾服着用が常識だった舞踏会に敢えてこの短い上着(ディナージャケット)で出席し周囲を驚かせたと言われます。彼は会場を追い出されたものの、その快適さに注目した紳士たちが私的な場で同様の上着を注文し始め、これが「タキシード」誕生の契機となりました。
ただしディナージャケットが社交界で広く受け入れられるまでには時間がかかり、公式の場に浸透したのは1920年代以降です。イギリスのエドワード8世(当時皇太子)はディナージャケットを公の夕餐会に着用する道を開き、ブラックタイ(タキシード)を燕尾服に代わる準礼装として定着させることに成功しました。
特徴と構造
タキシードはジャケットに尾のない一般的な背広型を採用し、丈は腰程度のシングルまたはダブルの上着です。伝統的に1つボタン留めで、襟はピークドラペル(剣襟)またはショールカラー(へちま襟)で拝絹と呼ばれる絹の光沢布で覆われています。素材は黒またはミッドナイトブルーのウール地(バラシア織など)が標準で、屋内照明では深い紺は黒より濃く見えるため伝統的に好まれてきました。ズボンはジャケットと同じ布地で作られ、側面には1本のサテンまたはブレード(組紐)状の側章が縫い付けられています。シャツは白のイブニングシャツで、折り襟(ターンダウンカラー)またはスタンドカラー(ウィングカラー)に、プリーツ入りまたはピケ生地の胸板を持ち、カフスはダブルまたはリンク付きシングルでカフリンクスを用います。首元には黒の自己結び蝶ネクタイ(ブラックタイ)を着用します。また、腰周りには黒のカマーバンド(帯状のサッシュ)か黒のローカットのウエストコート(ベスト)を着用するのが一般的です。靴は黒のエナメル革のオックスフォードシューズ、またはパンプス(オペラシューズ)を合わせます。
着用シーン
タキシードは夜間の準礼装(ブラックタイ・ドレスコード)として、格式高いが白タイほど硬くないシーンで用いられます。具体的には、夜の結婚披露宴、公式晩餐会、祝賀パーティー、ガラ(慈善舞踏会)、オペラや演劇のプレミア上映などが典型です。ヴィクトリア朝以降の英国では、「午後6時以降」の夜会にはまず燕尾服(白タイ)が正装とされ、タキシードは「男性だけの少人数の夕食会」や準正式な集まりに限られていました。しかし第一次世界大戦と第二次世界大戦の間にタキシード(ディナースーツ)は燕尾服に取って代わり、夜の標準的な礼装となります。第二次大戦後はさらに略式化が進み、米国では昼間の結婚式ですらタキシードが着られるようになるなど、本来夜の準礼装であったタキシードがあらゆるフォーマルシーンの代用として扱われる傾向も生まれました。それでも欧州や英国においては現在でもブラックタイは通常夕方以降の装いとされ、昼間にはモーニングやサック・スーツが用いられるケースが多く見られます。