【現役執事が解説】
シルクハットについて


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概要

1796年、フランス総裁政府期のパリで流行した「アンクロヤーブル(Les Incroyables)」と呼ばれる青年たち。左の男性が手にしているのが初期型のシルクハットで、当時は「シルクハット」ではなくビーバー帽(ビーバー毛のフェルト帽)などと呼ばれました。 18世紀末、ヨーロッパでは三角帽子(トリコーン)や二角帽(バイコーン)に代わる新しい帽子のスタイルが登場します。とりわけイギリスやフランスで背の高い筒型の帽子が上流・中産階級の間で流行し始めました。最初期の記録として、フランスでは1796年に画家カルル・ヴェルネが描いた流行の若者(アンクロヤーブル)の絵に、現在知られる形のシルクハットが登場しています。イギリスでもほぼ同時期にシルクハットが現れたようで、1797年にはロンドンで帽子商人ジョン・ヘザリントンがこの新奇な絹張りの帽子をかぶって外出し、あまりの奇抜さに女性が失神し群集がパニックになった、と新聞が伝える逸話も残されています。この話の真偽は定かではありませんが、それほど当時として斬新なスタイルだったということでしょう。実際にはそれ以前の1793年、ロンドンの帽子職人ジョージ・ダンナッジがビーバー毛皮の代用品として絹製シルクパイルを使った耐水帽子を発明し、1794年に特許を取得しており、これがシルクハットの起源とされています。また、18世紀末から19世紀初頭にかけてシルクハットの普及とともに三角帽や二角帽は急速に時代遅れとなっていきました。19世紀中頃までにはシルクハットはヨーロッパ中の都市で紳士の定番となり、上流階級のみならず裕福な市民層もこぞって着用するようになります。とりわけ英国ではヴィクトリア朝時代にシルクハットが都市の紳士の象徴となり、アルバート公が愛用したことで礼装アイテムとしての地位が不動のものとなりました。

礼装におけるシルクハットの位置付け

シルクハットは伝統的に欧米の正礼装に欠かせないアイテムとして定着しました。昼間の正装であるモーニング・ドレス(モーニングコート)ではシルクハットが必須で、結婚式や王室行事では黒またはグレーのシルクハットが用いられます。夜間最上級の正装であるホワイトタイ(燕尾服)でも、屋外へ赴く際には黒のシルクハットを着用し会場に着くとクロークに預けるのが伝統的な作法でした。

一方、略礼装に分類されるディナースーツ(タキシード、ブラックタイ)には通常シルクハットは合わせません。ブラックタイは正礼装より格下の夕方礼装のため、帽子をかぶる場合もシルクハットではなくホンブルグ帽などでも差し支えないとされました。ただし20世紀前半頃までは、格式ある晩餐に燕尾服で出席する紳士がオペラハット(折り畳み式シルクハット)を携行する場合もありました。

いずれにせよシルクハットはホワイトタイの夜会服かモーニングの昼礼装に属する、本格的正装用の帽子であり、20世紀以降その出番は限られていますが現在でも伝統的な結婚式や競馬のロイヤル・アスコットなどでは着用が推奨されています。

シルクハット着用のマナーと規範

19世紀から20世紀前半にかけて、帽子の着脱には細かなエチケットが存在しました。基本的に紳士は屋外では帽子をかぶりますが、屋内に入る時や淑女の前では帽子を脱ぐのが礼儀とされました。

知人に出会った際には軽くシルクハットに手を添えて持ち上げ挨拶する(いわゆる帽子を持ち上げて敬意を示す)習慣が一般的でした。例えば19世紀の伊達男ボー・ブランメルは髪型が乱れるのを嫌って決して帽子を持ち上げなかったと伝わりますが、これは当時としてはかなり型破りな振る舞いでした。社会的身分による差礼もあり、格式社会では目上の者に対して下位の者が先に帽子を取って敬意を示すのが通例でした。また帽子の種類自体にも身分差が反映され、使用人は山高帽(ボウラー帽)を被り、シルクハットは主人である紳士だけが被るものとみなされました。

20世紀に入ると男性が日常的に帽子を被る習慣自体が薄れましたが、現代でもシルクハット着用時には基本的なマナーとして知人や目上の人には帽子を軽く持ち上げて挨拶し、屋内では脱帽するのが礼節となっています。

素材と形状のバリエーション

シルクハットは時代とともに素材や形状にも変遷があります。初期のトップハットはビーバー(ビーバー=狸に似た大型の水棲哺乳動物、ビーバーの毛皮フェルト)は非常に光沢があり耐水性にも優れていたため、
18世紀末から19世紀初頭にかけて高級帽子素材の王者でした。しかし乱獲でビーバー原料が不足すると、代替として開発されたのが絹のパイル生地(シルク・プラッシュ)です。イギリスでは1790年代に既にこの絹製シルクハットの製造が始まり、19世紀前半までにビーバー帽から絹帽へと主流が移りました。裕福な紳士は黒い絹毛のシルクハットを、新興の中産階級は比較的安価なウサギや兎のフェルト製のものを、労働者階級はさらに安価なウール硬化フェルト製のシルクハット風帽子をかぶるなど、素材によって階級の差もあらわれました。シルクハットという名称も、本来は素材の絹に由来しています。当初は黒が主流でしたが、実は19世紀には黒以外の色のシルクハットも存在しました。

例えばロンドンの老舗帽子店ロック社の資料室には、音楽ホールの芸人が愛用した銅色のシルクハットが所蔵されており、当時はこうしたカラフルな帽子もあったことが分かります。形状にも様々なバリエーションがあり、1800年前後の草創期のトップハットはクラウン(帽体)の中央部がくびれた砂時計型でした。その後、背が高くまっすぐな円筒形のストーブパイプ型(煙突帽)も流行し、1850年代には高さ20cmに及ぶ極端に背の高いシルクハットも登場しました。

アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンが愛用した帽子がこのストーブパイプ型で、彼は演説原稿を帽子の中に入れて持ち運んだという逸話もあります。19世紀末になるとシルクハットの高さはやや抑えられ、12~15cm程度の標準的な高さで安定しました。また、劇場や社交場での帽子の置き場問題を解決するために、フランスの帽子職人アントワーヌ・ジバスが1840年頃にオペラ・ハット(シルクハットの折り畳み式)を開発しました。

これは内部のバネ機構で潰して平らにできるシルクハットで、舞台鑑賞時に座席下に収納できる便利な発明でした。

20世紀に入るとビーバーに代わる絹プラッシュ生地も生産が途絶え、第一次大戦後にはロック社が代用としてグレーのフェルト製シルクハットを開発し王室主催の競馬イベント(ロイヤル・アスコット)用に供給しました。以降、昼間の正装には伝統的にグレーのフェルト帽(グレイのトップハット)、夜間の正装や厳粛な場では黒のシルクハットという色分けも定着しました。現在ではアンティークの絹生地を再利用する以外に新品のシルクハット用シルクプラッシュは入手困難ですが、帽子店による手入れや再生によってヴィンテージ品が受け継がれています。

1857年、英傑イザムバード・キングダム・ブルネル卿が巨大蒸気船グレート・イースタン号の鎖の前でシルクハットを被って立つ有名な写真。ヴィクトリア朝時代にはこのように産業界の紳士も日常的にシルクハットを着用しており、背の高い筒形帽は都市の文明と威厳を象徴するアイコンとなりました

20世紀以降の衰退と現代での役割

20世紀に入るとシルクハットの使用頻度は徐々に減少しました。第一次世界大戦後、社会構造や服装の価値観が変化し、男性の普段着はソフト帽(中折れ帽)や山高帽などより実用的で低い帽子へと移行します。上流階級の男性も日常ではシルクハットをかぶらなくなり、シルクハットは徐々に儀礼的な場面に限定されるようになりました。第二次世界大戦後には自動車の普及で車内に収まりにくいシルクハットはさらに敬遠され、日常生活からほとんど姿を消します。

とはいえ完全になくなったわけではありません。英国では戦後も特定の伝統的職業・役職でシルクハット着用の習慣が残りました。例えば旧来の銀行や証券取引所の高官、王室の侍従、判事や裁判所の弁護士(一部の法廷服)、名門校ハロウ・スクールの上級生モニターの制服などにシルクハットが取り入れられています。

政治の場でも、アメリカ合衆国ではジョン・F・ケネディ大統領が1961年就任式でシルクハットを着用したのが最後となり、その後公式行事で米大統領がシルクハットをかぶることはなくなりました。現在ではシルクハットはほぼ「伝統と格式」のシンボルとして特別な行事でのみ日の目を見る存在です。イギリス王室の公式行事(戴冠式の行進など)で王族の男性が軍服代わりにシルクハットとモーニングを着用する例があります。また競馬のロイヤル・アスコットやダービーでは、参加者(特に貴賓席の紳士)は今でもドレスコードでシルクハット着用が求められています。その他、上流社会の結婚式や葬儀で新郎新婦の父親がモーニングとともに被る、伝統的な乗馬競技(馬場馬術など)で選手が燕尾服に合わせて被る、といった具合に細々と受け継がれています。

第二次大戦の降伏文書調印式に臨む日本全権団

1945年9月2日、第二次大戦の降伏文書調印式に臨む日本全権団。左前方で杖を持ちシルクハットを着用しているのが重光葵外相で、当時このように外交儀礼の正装としてシルクハットが用いられていました。

この写真は第二次世界大戦終結時、日本の全権大使たちが燕尾服とシルクハットという最上級の礼装で降伏文書に署名した場面です。20世紀半ばでも、外交官や高位の儀典ではシルクハットが正式な装いとして残っていたことを物語る歴史的写真と言えるでしょう。

20世紀以降の衰退と現代での役割

格式ある邸宅に仕える執事は、主人の身の回りを取り仕切る専門職であり、自ら華美な服装をすることはありません。伝統的に執事を含む男性使用人が帽子を被るのは屋外に出る時のみで、屋内勤務中に帽子を被ることはありません。19世紀末から20世紀初頭のエチケットでは、執事や従者が外出時に被る帽子は山高帽(ボウラー・ハット)などとされ、シルクハットは主人である紳士だけの特権でした。これは身分秩序を反映した規範で、執事が主人と同じシルクハットを被るのは僭越と考えられたためです。ただし例外的に、馬車の御者や門番といった屋外儀仗担当の使用人は制服(リヴァリー)としてシルクハットを着用する伝統がありました。ヴィクトリア朝時代の大邸宅では、来客を馬車で送迎するフットマン(従者)や御者が、帽章付きのシルクハットを被ることで主人家の威厳を示す役目を負っていました。現代でもホテルのドアマンや宮廷の儀仗隊など、伝統的制服にシルクハットを含む例が見られます。しかし邸内において主人に仕える執事自身は、格式正しい黒の上着(モーニングコートや燕尾服に準ずる執事服)こそ着用すれど、帽子は着用しないのが原則でした。以上のように、執事がシルクハットを被る場面はごく限られており、主に屋外で主人に付き添う必要がある場合に山高帽などを被ったと考えられます。一流の執事は常に控えめでありながら主人の品位を引き立てる装いを心掛けてきたのです。

記事執筆者・監修者

梶原 優太
(Kajiwara Yuta)

日本バトラー&コンシェルジュ株式会社
経営企画部兼バトラーサーヴィス部所属
社長補佐
役職:バトラー

実績
執事監修・演技指導
・ショートドラマ 「BUTLER」
小山慶一郎様と 宮舘涼太様に対し、執事所作指導を担当

・音楽劇『謎解きはディナーのあとで』
主演の上田竜也様、大澄賢也様に対し、執事所作指導を担当
演出執事監修

日本執事学校 IN VRChat講師
日本メイド学校 IN VRChat講師


一般社団法人 日本執事協会
特任研究員 

一般社団法人 日本執事協会 附属 日本執事学校
講師
主な授業内容(執事史、メイド史)

年代出来事
18世紀末〜19世紀初頭ビーバー毛皮フェルト製のシルクハットが光沢・耐水性に優れ、高級帽子素材の王者だった。
1790年代イギリスでビーバー原料不足を背景に、絹製シルクハット(シルク・プラッシュ生地)の製造が始まる。
19世紀前半高級帽の主流がビーバー帽から絹製シルクハットへと移行し、「シルクハット」という名称も素材の絹に由来する。
1800年前後草創期のトップハットはクラウン(帽体)中央部がくびれた砂時計型であった。
19世紀黒いシルクハットが主流だが、素材や色のバリエーションも生まれた。裕福な紳士は黒い絹毛のシルクハット、新興中産階級は兎毛フェルト製のもの、労働者階級はウール硬化フェルト製のシルクハット風帽子を着用し、素材によって階級の差が現れた。また黒以外のシルクハットも存在し、ロック社資料室には音楽ホール芸人が愛用した銅色シルクハットが所蔵されている。
1840年頃フランスの帽子職人アントワーヌ・ジバスが、内部のバネ機構で平らに折り畳めるオペラ・ハット(折り畳み式シルクハット)を開発。劇場鑑賞時に座席下に収納できる画期的な発明だった。
1850年代背が高くまっすぐな円筒形のストーブパイプ型(煙突帽)のシルクハットが流行し、高さ20cmに及ぶ極端に高いタイプも登場。アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンもこの型を愛用し、演説原稿を帽子の中に入れて持ち運んだという逸話がある。
19世紀末シルクハットの高さは12〜15cm程度の標準的な高さに落ち着いた。
20世紀初頭ビーバーの代替素材だったシルク・プラッシュ生地の生産が途絶える。
第一次世界大戦後ロック社がシルクハットの代用品としてグレーのフェルト製シルクハットを開発し、王室主催の競馬イベント(ロイヤル・アスコット)用に供給。これ以降、昼間の正装には伝統的にグレーのフェルト製シルクハット、夜間の正装や厳粛な場では黒のシルクハットという色分けが定着した。
現在新品のシルクハット用シルク・プラッシュ生地は入手困難で、アンティークの絹生地を再利用するしかない。ただし帽子店による手入れや再生を通じてヴィンテージ品が受け継がれている。

記事執筆者・監修者

梶原 優太
(Kajiwara Yuta)

日本バトラー&コンシェルジュ株式会社
経営企画部兼バトラーサーヴィス部所属
社長補佐
役職:バトラー

実績
執事監修・演技指導
・ショートドラマ 「BUTLER」
小山慶一郎様と 宮舘涼太様に対し、執事所作指導を担当

・音楽劇『謎解きはディナーのあとで』
主演の上田竜也様、大澄賢也様に対し、執事所作指導を担当
演出執事監修

日本執事学校 IN VRChat講師
日本メイド学校 IN VRChat講師


一般社団法人 日本執事協会
特任研究員 

一般社団法人 日本執事協会 附属 日本執事学校
講師
主な授業内容(執事史、メイド史)

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