なぜ「こちらへどうぞ」がNGなのか?
富裕層のお客様が求める
「選択する自由」と執事の言葉選び

「お席はこちらでございます」
「入り口はこちらになります」

一見、丁寧で問題のないご案内のように思えます。
しかし、私たち日本バトラー&コンシェルジュが日々お仕えしている富裕層・VIPのお客様に対してこの言葉を使うと、無意識のうちに「イラッ」とさせてしまったり、心の距離を置かれてしまったりすることがあります。

なぜでしょうか?
それは、この言葉が「丁寧な仮面を被った命令形」であり、お客様から「選択権」を奪っているからです。
本記事では、執事の朝礼ライブの内容をもとに、富裕層のお客様が最も重視する「自己決定権」と、信頼関係を築くための魔法の技術「許諾(きょだく)」について解説します。

何気ない一言が
「命令」に聞こえる瞬間

皆さんもレストランで「お席はこちらです」と案内されたとき、案内された席がトイレの近くだったり、騒がしい場所だったりして、「えっ、ここ?」と一瞬抵抗を感じたことはないでしょうか。
もちろん、お店側は悪気なく空いている席を案内しただけでしょう。しかし、「こちらです」と断定された瞬間に、私たちはお客様ではなく「管理される対象」になってしまいます。
「あなたの座る場所は私が決めました」という無言のメッセージが含まれてしまうのです。

これが富裕層のお客様であれば、なおさらです。
彼らは普段、企業のトップやオーナーとして、自分の人生のすべてを自らの意思で決定しています。
そんな彼らにとって、他者から一方的に「ここに行け」「これをしろ」と指示されることは、たとえ丁寧語であっても、強いストレス(不快感)となります。
言葉遣いが綺麗でも、そこに「支配の構造」が見え隠れするとき、富裕層は敏感に反応し、心を閉ざしてしまうのです。

なぜ「許諾」が必要なのか?
3つの心理的アプローチ

では、どうすればよいのでしょうか。
答えは「許諾(Permission)」をとることです。つまり、相手にお伺いを立てるスタイルに変えることです。
執事の朝礼ライブでは、なぜ許諾が必要なのか、その理由を以下の3点に整理して解説しています。

1. 富裕層は「選択権」を何より重視する

富裕層の方々は、「自らの意思で決定すること」に強い価値を感じています。
「お席はこちらでございます」と言われると、選択肢がゼロになります。これは心理的に「拘束」された状態です。
しかし、「こちらのお席でよろしいでしょうか?」と聞かれれば、そこには「YES / NO」という選択肢が生まれます。
たとえ結果的にその席に座るとしても、「座らされた(受動)」のと「自分で座ると決めた(能動)」のでは、心理的な満足度が天と地ほど異なります。
お客様に常に「自分が選んだ」という感覚(オーナーシップ)を持っていただくこと。これが執事の最優先事項です。

2. 「心理的リアクタンス」を回避する

心理学には「心理的リアクタンス(抵抗)」という言葉があります。人は自由を制限されると、無意識に反発したくなる心理作用のことです。
「勉強しなさい」と言われると勉強したくなくなる、あの現象です。
「こちらです」という断定は、お客様の自由を制限する言葉です。すると、お客様の無意識下で「なんであなたに決められなきゃいけないの?」という小さな反発が生まれます。
この微細な反発の積み重ねが、「なんとなくこの人とは合わない」「居心地が悪い」という評価につながってしまいます。
命令的な表現を避けることは、この「心の壁」を作らせないための防御策なのです。

3. 疑問形は「主導権」を渡す技術

これが最も重要なポイントです。
「よろしいでしょうか?」と疑問形で終わることで、会話のボール(主導権)をお客様にお渡しすることができます。
主導権はお客様にある。私たちはあくまでサポート役(黒子)である。
この立ち位置を明確にするために、私たちは徹底して語尾を疑問形にし、許諾を求めるスタイルを貫きます。
これにより、お客様は「自分が尊重されている」「この空間の主人は自分だ」と安心してくつろぐことができるのです。
主導権を渡せば渡すほど、逆説的にお客様からの信頼は深まります。

最高のサービスとは、
すべてをお客様に
「自分で選んだ」と思わせる演出である。

Psychology of Service

【実践編】
明日から使える「許諾」変換リスト

では、具体的にどのように言葉を変えればよいのでしょうか。
執事の現場で実際に使われている、言葉の変換例をご紹介します。
これらは単なる言い換えではなく、相手への「敬意の量」を変えるテクニックです。

  • お席はこちらです
    こちらのお席でよろしいでしょうか?
  • お荷物お預かりします
    お荷物をお預かりしてもよろしいでしょうか?
  • お飲み物は何にしますか?
    お飲み物はいかがいたしましょうか?
  • お待ちください
    少々お待ちいただけますでしょうか?
  • こちらにご記入ください
    こちらにご記入をお願いできますでしょうか?

「許諾」を使うべき場面と
使わない場面の判断基準

もちろん、すべての言葉を疑問形にすればいいわけではありません。
プロの執事は、状況に応じて「許諾」と「断定」を高度に使い分けています。
その判断基準は明確です。

許諾を使うべき場面:選択肢がある時

選択肢を用意できる状況、あるいは断れる状況では、必ず相手に決定権を委ねます。
・「こちらのプランで進めてよろしいでしょうか?(修正も可能です)」
・「お時間は大丈夫でしょうか?(都合が悪ければ改めます)」
メールのやり取りにおいても、「こちらでお願いします」ではなく「こちらのご提案でよろしいでしょうか」と添えるだけで、相手の受ける印象は柔らかくなります。

許諾を使わない場面:安全・指定事項

逆に、許諾を使ってはいけない場面もあります。それは「安全に関わること」や「選択肢がないこと」です。
例えば、足元に段差がある時。「ご注意いただいてもよろしいでしょうか?」では危機感が伝わりません。
「お足元にご注意ください」と明確に伝える必要があります。
また、指定席などで席が決まっている場合も、「こちらでよろしいでしょうか?」と聞くと「いやだ」と言われた時に困ってしまいます。

■ 執事の現場テクニック:選択肢がない時の「言い換え」

選択肢がない(席が決まっている)場合でも、命令調を避けるテクニックがあります。
それは「~をご用意させていただきました」という表現です。

×「お席はこちらでございます」(事務的・命令的)
○「景色の良いこちらのお席をご用意させていただきました」(ホスピタリティ)

これなら、断定でありながらも「あなたのために準備した」というギフトのニュアンスが伝わり、不快感を与えません。
言葉ひとつで、制約さえも贈り物に変える。それが執事の言葉選びです。

執事のQ&A:
こんな時、どう言う?

Q. 急いでいるお客様にも「よろしいでしょうか?」と聞くべきですか?
A. 状況によります。明らかに急いでいる場合は、「こちらへどうぞ」と短く案内し、動作で迅速に誘導する方が親切です。許諾は敬意の表現ですが、それが「まどろっこしさ」になってはいけません。相手の「時間」と「心理」のどちらを優先すべきかを瞬時に判断します。
Q. 相手が「なんでもいい」と言った場合は?
A. それでも一度は提案し、許諾を得ます。「なんでもいい」は「信頼して任せる」という意味ですが、「勝手にしていい」という意味ではありません。
「では、季節のおすすめのこちらでよろしいでしょうか?」と確認することで、最後の「決定」をお客様にしていただくプロセスを守ります。
これにより、万が一お気に召さなかった場合でも、「自分で了承した」という事実が残るため、クレームになりにくいというリスク管理の側面もあります。

まとめ:
言葉の「語尾」に敬意は宿る

たかが語尾、されど語尾。
「~です」と言い切るか、「~でよろしいでしょうか」と委ねるか。
そのわずかな違いが、お客様の中に「尊重されている」という安心感を生むか、「指図された」という不快感を生むかの分かれ道になります。

日本バトラー&コンシェルジュ株式会社のスタッフは、常にお客様に主導権をお渡しし、心地よい距離感を保つことを徹底しています。
「あなたと話していると、なぜか心地いい」
そう言っていただける秘密は、この徹底した「許諾」の技術にあるのです。

記事執筆者・監修者

新井 直之
(NAOYUKI ARAI)

執事
日本バトラー&コンシェルジュ株式会社 代表取締役社長
一般社団法人 日本執事協会 代表理事
一般社団法人 日本執事協会 附属 日本執事学校 校長

大富豪、超富裕向け執事・コンシェルジュ・ハウスメイドサービスを提供する日本バトラー&コンシェルジュ株式会社を2008年に創業し、現在に至る。

執事としての長年の経験と知見を元に、富裕層ビジネス、おもてなし、ホスピタリティに関する研修・講演・コンサルティングを企業向けに提供している。

代表著作『執事が教える至高のおもてなし』『執事だけが知っている世界の大富豪58の習慣』。日本国内、海外での翻訳版を含めて約20冊の著作、刊行累計50万部を超える。

本物執事の新井直之
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