そのバッグは、ただの「物」ではありません。
VIP・富裕層の人生をお預かりする、
執事の「手」の哲学

「お荷物をお預かりいたします」

ホテルやレストラン、あるいはご自宅で。この何気ない一言の裏に、どれほどの責任と覚悟が込められているか。
それを理解しているスタッフは、実はそう多くありません。

VIP・富裕層のお客様にお仕えする執事にとって、「お荷物の取り扱い」は単なる運搬作業ではありません。
それは、お客様の信頼、人生、そして価値観そのものを、文字通り「この手」に預かる神聖な行為です。
本記事では、私たち日本バトラー&コンシェルジュが現場で実践している、お荷物取扱いの哲学と技術について解説します。

なぜVIPのお荷物には
特別な「畏敬の念」が必要なのか

私たちがお客様のお荷物に触れるとき、そこには「高価だから」という理由以上の緊張感があります。
なぜなら、そのお荷物は「物」ではなく、お客様の「人生の一部」だからです。

1. 「物」ではなく「物語」である

使い込まれた革のブリーフケースには、幾多の商談を勝ち抜いてきた戦歴が刻まれています。
古いカシミヤのコートには、亡きご家族との思い出が詰まっているかもしれません。
富裕層のお客様が愛用される品々には、例外なく「ストーリー」があります。
それを雑に扱うということは、お客様のこれまでの人生や思い出を、「どうでもいいもの」として扱うことと同義です。
私たちは、バッグ一つをお預かりする時、その背景にある数十年の歴史ごとお預かりしているのです。

2. 想像を絶する「繊細さ」

もう一つの理由は、物理的な繊細さです。
最高級の素材は、美しさと引き換えに、驚くほどデリケートです。

執事が警戒する「特級素材」のリスク
  • 最高級アニリンレザー: 水滴一粒でシミになり、爪が触れただけで傷が残る。ハンドクリームを塗った手で触れることさえ許されない。
  • ビキューナ・カシミヤ: 摩擦に極めて弱く、粗雑な壁紙に触れただけで毛羽立ち、価値が損なわれる。
  • ヴィンテージ・シルク: 直射日光や照明の熱だけで変色する可能性がある。

これらは、一般的な「丁寧に扱う」レベルでは守りきれません。
「どこを持てば負荷がかからないか」「今の湿度は適切か」「手の油分は付着しないか」。
素材に対する深い知識と、病的なまでの配慮があって初めて、触れることが許されるのです。

傷つくのは「モノ」ではなく
「信頼」である

万が一、お荷物を傷つけてしまった場合、保険で弁償することは可能かもしれません。
しかし、壊れた「信頼」には保険が効きません。

「この人は、私の大切にしているものを大切にしてくれなかった」
この失望感は、どんなに謝罪しても拭えません。
執事の世界において、お荷物を雑に扱うことは、「あなたを軽視しています」という無言のメッセージを送ることになります。
富裕層のお客様は、決して声を荒げてクレームを言ったりはしません。
ただ静かに、「次はもうないな」と判断されるだけです。

お荷物の扱いは、
お客様ご自身への「扱い」そのものである。

Philosophy of Butler Service

執事が必ず守る
3つの「所作の鉄則」

では、具体的にどう扱えばよいのでしょうか。
精神論だけでなく、形(フォーム)として守るべき3つの鉄則があります。

鉄則①:両手で受け取り、両手で渡す

これは基本中の基本ですが、最も差が出る部分です。
片手での受け渡しは、無意識のうちに「軽いもの」「どうでもいいもの」というシグナルを発します。
どんなに小さなお荷物でも、必ず両手を添える。
「重量を支える手」と「安全を守る手」。この両手が揃って初めて、敬意が形になります。

鉄則②:受け取る前に「許可(許諾)」を得る

「お持ちします」といきなり手を伸ばすのは、ひったくりと同じです。
プライベートな領域にあるお荷物に触れる前には、必ず「お荷物をお預かりしてもよろしいでしょうか?」という確認(許諾)が必要です。
このワンクッションが、お客様に「主導権」と「安心感」を与えます。

鉄則③:絶対に「直置き」しない

外出先で、バッグを床や地面に直接置くこと。
これは、そのバッグの底を汚すだけでなく、「あなたの持ち物を地面レベルの価値として扱っています」という侮辱になります。
執事は、適切な置き場所(椅子、荷物台)がない場合、自分のハンカチやクロスを敷いてから置きます。
その「一手間」を惜しまない姿勢こそが、プロフェッショナルの証です。

× 三流の扱い
  • 片手でひょいと持ち上げる
  • 無言でサッと奪うように持つ
  • 地べたや不潔な場所に直置きする
  • 壁に立てかける(型崩れの原因)
○ 執事の扱い
  • 底に手を添えて両手で持つ
  • 「お預かりしても?」と目を見て確認
  • 必ずクロスを敷いて置く
  • 自立するようにバランスを整える

判断に迷ったときの
唯一の基準

現場では、想定外のシチュエーションもあります。
雨が降っている、置く場所がない、荷物が重すぎる……。
そんな時、執事が立ち返る判断基準は非常にシンプルです。

「自分がこの品の持ち主だったら、
今の扱われ方で安心できるか?」

この問いに、胸を張って「はい」と言える行動だけを選択します。
自分がされて嫌なことはしない。自分がされて嬉しいことをする。
結局のところ、ホスピタリティの本質は、このシンプルな想像力に尽きるのです。

まとめ:
執事の手は、言葉よりも雄弁である

VIP・富裕層のお客様は、言葉巧みな説明よりも、ふとした瞬間の「手の動き」を見ています。
バッグを置く時の、音のなさ。
コートを預かる時の、柔らかな曲線。
その指先の一つひとつに、「あなたを大切に思っています」というメッセージを込めること。
それが、私たち日本バトラー&コンシェルジュの提供する「信頼の品質」です。

記事執筆者・監修者

新井 直之
(NAOYUKI ARAI)

執事
日本バトラー&コンシェルジュ株式会社 代表取締役社長
一般社団法人 日本執事協会 代表理事
一般社団法人 日本執事協会 附属 日本執事学校 校長

大富豪、超富裕向け執事・コンシェルジュ・ハウスメイドサービスを提供する日本バトラー&コンシェルジュ株式会社を2008年に創業し、現在に至る。

執事としての長年の経験と知見を元に、富裕層ビジネス、おもてなし、ホスピタリティに関する研修・講演・コンサルティングを企業向けに提供している。

代表著作『執事が教える至高のおもてなし』『執事だけが知っている世界の大富豪58の習慣』。日本国内、海外での翻訳版を含めて約20冊の著作、刊行累計50万部を超える。

本物執事の新井直之
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