【現役執事が解説】
ヴィクトリア朝時代ーヴァレットについて


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ヴァレットの始まり

1700年代のパリにいたヴァレット
※画像は1700年代のヴァレット(フランス)

ヴァレット(Valet)は、中世ヨーロッパにおいて貴族や王侯貴族に仕える若年従者から始まった職業です。語源はフランス語の「valet de chambre(寝室付きの従者)」で、王の私室に立ち入ることを許された側近としての性格を持ちました。この概念がイギリスに輸入され、17世紀以降の貴族社会で確立されました。19世紀ヴィクトリア朝時代には、ヴァレットは上流階級の男性にとって不可欠な存在となり、その役割は高度に専門化していきました。ヴァレット(従僕、valet)は上流階級の男性主人に付き従い、その身の回りの世話を専任で担う使用人でした。朝は主人を起こすことから一日が始まり、主人が就寝するまで仕事は終わりません。

ヴァレットは常に主人に同行し、主人の服装や持ち物、履物にまで気を配り、主人の機嫌や要望を即座に察して行動することが求められました。
多くの場合、ヴァレットの就寝時間は深夜12時を過ぎ、主人の夜更かしにも付き合うため、上級使用人とはいえ相応の体力も必要だったとされています。


ヴァレットの仕事内容

ヴァレットは特定の男性主人に専属で仕え、衣服の管理や身支度の補助、衛生管理を担う上級使用人です。具体的には、衣類の着脱を手伝い、入浴や髭剃り、ヘアセットなどの身だしなみのサポートを行います。洗面用具の清掃や整理、衣類の手入れ、靴磨き、小物類の管理もヴァレットの仕事です。また、主人の旅行時には衣装の準備や荷造り、乗り物の手配、現地での通訳といった支援も行い、主人の影のように付き従いました。



身支度の補助と衛生管理
主人の衣服の着脱を手伝い、入浴の準備や介助、髭剃りや髪の身だしなみのケアまで行いました。必要に応じて主人を代理で髭剃りすることもありました。当時の多くの主人は自分で髭を剃ることを好みましたが、ヴァレットはいつでも代行できるよう準備していました。

衣類・持ち物の管理
高価な衣服やアクセサリー、靴など主人の所有品全般の手入れと管理も重要な任務でした。ヴァレットは様々な布地や革製品の手入れ方法に通じ、染みの種類に応じた除去法やアイロンのかけ方を熟知していました。裁縫の腕も求められ、衣服のほころびを縫い直したり、ボタン付けをするなど修繕も行いました。また、靴磨きや帽子・杖といった小物の手入れまでこなし、主人のワードローブ全体(ブーツからシルクハットに至るまで)を常に最良の状態に保ちました。

洗面用具・私物の整備
剃刀や櫛、ブラシ類といった洗面道具を清潔に保ち、整理するのもヴァレットの役目です。主人の部屋のクローゼットや引き出しを整頓し、衣類を季節や用途に合わせて管理しました。必要に応じて主人専属の仕立屋(テーラー)や服地商、香水商とも連絡を取り、注文や調整を行いました。

主人の外出・旅行時の支援
ヴァレットは主人の旅行や外出にも同行し、旅先で必要となる衣装一式を準備・梱包しました。旅行計画の手配も担い、乗り物の手配(馬車や鉄道切符の段取り)や荷物の運搬を取り仕切りました。また、フランス語などの外国語を話せることも望ましく、主人の海外渡航に際しては通訳や現地調整役も務めました。

執事やフットマンとの役割・階層の違い

ヴァレットと他の使用人との違い

ヴァレットは「主人個人」に仕える点で、執事(バトラー)やフットマン(従僕)とは根本的に役割が異なります。執事は屋敷全体の運営と使用人の統括を担い、フットマンは屋敷内外の雑務や来客の応対を行います。一方、ヴァレットは主人の私生活に深く関わるため、他の使用人と直接的な上下関係を持ちません。
また、待遇面でもヴァレットは別格とされ、食事の席順や服装にも格差がありました。執事やレディーズメイド(婦人付き侍女)、侍医らと並ぶ「上級使用人」として、下級使用人とは明確に区別されていました。そのため、ヴァレットは他の使用人から一目置かれつつも、「主人のスパイ」と陰口を叩かれることもあり、孤立した立場になることもあったのです。


ヴィクトリア朝時代の使用人社会では、執事(butler)、フットマン(footman)、ヴァレット(従者)など各職種に明確な役割分担と階層的序列がありました。それぞれの典型的な職務は以下の通りです。

執事(バトラー)
執事は屋敷における最上位の男性使用人で、家令(house steward)が不在の場合はすべての使用人を統括する責任を担っていました。家族全体に仕える給仕長兼管理者として、食卓での給仕、ワインや銀食器の管理、来客応対、館内の安全確認や施錠といった家務全般の調整を行います。大邸宅によっては、主人個人の世話(ヴァレット業務)を執事が兼任することもありました。

フットマン(従僕)
フットマンは執事の直属の配下に位置する下級使用人で、主に来客の案内、食事の給仕、屋敷内外の雑務などを担当しました。複数のフットマンがいる家では、第一フットマンが最も格式高く、主人のテーブルでの給仕や扉の開閉などを務め、下位のフットマンは使い走りや照明の管理、炭の運搬などを担当するという内部序列も存在しました。また、フットマンは主人一家の呼び鈴にいち早く応じ、必要に応じてコックやメイドなど他の専門職に取り次ぐ役割も果たしました。

ヴァレット(従者)
ヴァレットは執事やフットマンとは異なり、一家の主人またはその息子など、特定の男性個人に専属で仕える上級使用人です。身支度の補助、衣服の管理、小間使いなど多岐にわたる業務を担い、基本的に担当する主人以外から指示を受けることはありません。ヴァレットは男性主人に付き、女性主人にはレディーズメイド(侍女)が付くのが原則であり、夫婦それぞれに同性の従者が置かれるのが当時の慣例でした。

序列上の位置づけ
序列上、執事は男性使用人の頂点に立ち、フットマンはその下位に位置する使用人です。
一方、ヴァレットは主人個人と直接契約を結んでいる特殊な立場であり、形式上「上級使用人(アッパー・サーヴァント)」に分類されます。
身分的には執事、家政婦(ハウスキーパー)、料理長(コック)などと同格に扱われる一方で、他の使用人を指揮する立場にはなく、あくまで主人個人に仕える独立したポジションです。

このため、大邸宅では執事が屋敷全体の業務を采配し、ヴァレットは主人付きの独立職として活動するという補完的な関係性が成立していました。なお、専任のヴァレットがいない場合は執事が主人の身の回りの世話も兼ねることがあり、また主人の息子に対してはフットマンが代理でヴァレットの役割を果たすのが一般的でした。

執事とヴァレット、どちらが上なのか?

キャリアの観点から見ると、執事は男性使用人の頂点に立つ職種であり、屋敷の運営全体を管理します。給仕、ワイン管理、来客応対、家財の監督など業務範囲は非常に広く、他の使用人を採用・教育する権限もあります。使用人社会においては明確に執事がヴァレットよりも上位の職業と位置づけられていました。
一方、ヴァレットは主人個人に直属する特殊なポジションであり、他の使用人を指揮することはありませんが、主人の身の回りを一手に担う信頼の厚い役職です。主人との関係が深く、長年仕えることで腹心や秘書的な存在となることもあります。
なお、有能なヴァレットが後に執事へと昇進するケースも存在し、ヴァレット職は執事への登竜門としての一面も持っていました。しかし、そのままヴァレットとして生涯を過ごす人も多く、両者は「責任範囲の違う上級職」として並立する存在でした。


使用人社会でのヴァレットの地位

ヴァレットは使用人社会の中でも高い地位と特殊な立場を占めていました。執事や家政婦と並ぶ「上級使用人の一人」と見なされ、日常生活においても他の下級使用人とは一線を画す待遇を受けていました。

たとえば、屋敷内には使用人の身分に応じた食堂の席順や服装規定があり、ヴァレットはレディーズメイド(婦人付き侍女)や侍医などと共に上座に座る資格がありました。主人に専属で仕えるという性質上、直接金品を賜ったり、来客から謝礼を受け取る機会も多く、これはヴァレット職における経済的特権の一つとされていました。有能なヴァレットは主人からお下がりの高級な背広や靴を譲り受けたり、来訪者からチップや不要になった衣類を贈られることもありました。

しかしその一方で、主人に最も近い立場にあるがゆえに、他の使用人からは「主人のスパイ」と揶揄され、距離を置かれる存在でもありました。ヴァレットは主人の私生活や秘密に触れる機会が多く、常に高度な守秘義務と品行方正さが求められました。「紳士の従者たる者、主人の一日を見て聞いたことは墓場まで持っていけ」と言われたほど、秘密の保持が重んじられていたのです。
このように、ヴァレットは名誉職的側面と孤立した立場という二面性を併せ持っており、高い誇りと責任感を抱くとともに、同僚間の微妙な力学に配慮する必要がある難しい役職でした。


ヴァレットになるまでの道のり

ヴィクトリア朝時代のヴァレット

19世紀の大邸宅では、使用人は少年期から奉公に入り、下積みを経て徐々に上位職へと昇進するのが通例でした。ヴァレットも例外ではなく、多くは少年使用人(ボーイ)やフットマンからの叩き上げで任命されました。
典型的なキャリアパスとしては、まず10代半ばで「ボーイ」として奉公に入り、掃除や料理補助を行うキッチン・ボーイ、靴磨きのブート・ボーイ、廊下で待機するホール・ボーイ、そして主人に付き添うページ・ボーイ(小姓)といった役割を経験します。これらの業務を通じて基本的な礼儀作法や技能を学び、上級使用人のもとで経験を積んでいきました。
成長と共にフットマンに昇格し、屋敷内での給仕や雑用を担います。さらにその中でも信頼と技能を備えた者が、主人付きのヴァレットに抜擢されました。特に大家族では、主人の息子に若手のフットマンを従者として宛てがい、年長のヴァレットの指導のもと、徐々に一人前の従者へと成長させる制度が一般的でした。
このような流れを経て、優秀なフットマンは正式なヴァレットへと昇進し、さらに執事への道が開かれることもありました。しかし、20世紀に入り使用人の需要が減少すると、この伝統的なキャリアパスは次第に姿を消していきました。

画像の人物は、ヴィクトリア女王第3王子のアーサー王子にフットマンとして王室入りをしてのちにヴァレットとなった人物。
撮影時代は1866年


衰退と現代のヴァレットについて

20世紀前半、とりわけ第一次世界大戦後は、大規模な家事使用人を抱える生活様式が急速に廃れていきました。男性が従軍し、女性が社会進出した結果、戦後に旧来の従者職に戻る人は少なく、また電気洗濯機や掃除機など新しい家事機器の普及によって主人付き従者の需要そのものが激減したのです。
第二次世界大戦後にはこの傾向が決定的となり、中流家庭でヴァレットを雇うことはほとんどなくなりました。かつて数百万に上った英国の家事使用人人口は20世紀半ばに大幅減少し、「主人と従者」という伝統的関係は形骸化していきました。
しかし、ヴァレットの存在が完全に途絶えたわけではありません。現在でも英国王室や一部の富裕層の邸宅ではヴァレット(またはそれに類する紳士付使用人)が健在です。例えばイギリス国王チャールズ3世(皇太子時代のプリンス・チャールズ)は複数名のヴァレットを抱えていたことで知られており、一日に何度も衣装替えをする王族の日常を支えるため、4名の専任従者(シニア2名+助手2名)が交代で24時間待機していたと報じられています。

王室のヴァレットたちは主人の高価なオーダーメイド衣装を管理し、外した服をすぐ回収・クリーニングして所定のクローゼットに戻すほか、靴紐のアイロン掛けや歯磨き粉を歯ブラシに絞り出すといった細事まで請け負っていたといいます。こうした例は特殊ですが、21世紀においてもごく限られた社会では古典的なヴァレット職が存続していることを物語ります。

一方で一般社会では、「ヴァレット」という語は現在では主にホテルの靴磨き・洗濯担当(Valet Service)や駐車係(Valet Parking)など限定的な意味で使われるようになりました。現代の富裕層家庭でも専属の執事(バトラー)や個人秘書を雇うことはありますが、それらの職務は従来の執事・ヴァレット・運転手など複数の役割を兼ねる形に変化しています。
たとえば日本でもバトラー(執事)派遣会社が存在しますが、その提供する執事サービスには衣類の管理や送迎といった往年のヴァレット業務に相当する内容が含まれており、今日では職能の垣根が融解しているのが実情です。
要するに、現代のヴァレット職はごく一部の伝統的環境を除き単独の役職としては稀であり、その精神は秘書的・コンシェルジュ的なサービスとして受け継がれていると言えるでしょう。

右側画像:ホテルの靴磨き・洗濯担当(Valet Service)/1940年代

1940年代のヴァレット


他国における類似の職(フランス・ドイツ・イタリア)

フランス
フランスでは「ヴァレ・ド・シャンブル(valet de chambre)」と呼ばれ、中世から王政時代にかけて発達した役職でした。特に国王付きの「第一侍従(Premier valet de chambre)」は高位の名誉職であり、宮廷内では君主の側近として影響力を持つこともありました。一般貴族邸宅でも、英国と同様に主人付き従者が外遊などで活躍していました。

ドイツ
ドイツでは「カンマーーディーナー(Kammerdiener)」が相当する職であり、ハプスブルク宮廷などでは「カンマーイウンカー」や「ホフイウンカー」といった貴族身分の侍従も存在しました。特にオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の晩年に仕えたエーユゲン・ケッテルルは「皇帝の最後のヴァレット」として知られ、当時の従者の日常を記録した回想録が残されています。

イタリア
イタリアでは「カメリエーレ(cameriere)」という語があり、給仕人や従者を指します。宮廷ではフランス風に「ヴァレット」と呼ぶこともありましたが、一般には「カメリエーレ・パルティコラーレ(個人付き給仕)」や「セルヴィトーレ」など多様な名称が使われていました。19世紀のサヴォイア家においても、王室には私室付きの従者が存在していました。

このように、名称や制度の違いはあるものの、ヨーロッパ各国の上流社会において、主人の身辺世話を担う従者階層が存在していたことが確認できます。いずれの国においても、その地位は主人の威信を象徴する重要なポストであり、優秀な従者は厚遇される一方、時代の変遷とともにその役割は減少していきました。

記事執筆者・監修者

梶原 優太
(Kajiwara Yuta)

日本バトラー&コンシェルジュ株式会社
経営企画部兼バトラーサーヴィス部所属
社長補佐
役職:バトラー

実績
執事監修・演技指導
・ショートドラマ 「BUTLER」
小山慶一郎様と 宮舘涼太様に対し、執事所作指導を担当

・音楽劇『謎解きはディナーのあとで』
主演の上田竜也様、大澄賢也様に対し、執事所作指導を担当
演出執事監修

日本執事学校 IN VRChat講師
日本メイド学校 IN VRChat講師


一般社団法人 日本執事協会
特任研究員 

一般社団法人 日本執事協会 附属 日本執事学校
講師
主な授業内容(執事史、メイド史)

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