【解説】ヴィクトリア朝時代のメイド
メイド全盛期から衰退まで


メイドの台頭

中世のメイド にてご紹介した通り、中世ヨーロッパには「メイド(maid)」という職名はまだ存在していませんでしたが、それに類する女性の使用人や召使いが貴族や富裕層の家庭において働いていました。
そして時代が下り、ヴィクトリア朝(1837年〜1901年) は、イギリス帝国の最盛期とされる時代であり、産業革命による急激な都市化と中産階級の台頭を背景に、「家庭内使用人制度」が制度的かつ文化的に成熟した時期でもありました。
この時代において、「メイド(maid)」という職種は初めて明確に職務と階級に基づき制度化され、現代の家庭内サービス職の原型が確立されたといえます。


※本記事には、一部、読者の皆さまにとって不快に感じられる可能性のある歴史的事実が含まれておりますが、それらは当時の社会やメイドという職の実態を正しく理解していただくために、あえて省略せず記載しております。歴史の真実としてご理解いただければ幸いです。


メイド制度の成り立ち 

前の記事「中世のメイド」で述べた通り、中世はメイドと呼ばれていなかったがメイドのような使用人、召使いが存在していました。
そこから時代が下りヴィクトリア朝(1837年〜1901年)は、イギリス帝国の最盛期であり、産業革命を背景とした急激な都市化と中産階級の台頭により、「家庭内使用人制度」が制度的・文化的に成熟した時代でもありました。この時代において、メイド(maid)という役職は、はじめて明確に職種・階層として制度化され、現代の家庭内サービス職の原型を築いたといえます。
産業革命,

産業革命と中産階級の興隆

18世紀後半から19世紀にかけて進行した産業革命により、イギリスでは都市人口が増加し、中産階級(特に商人・銀行家・医師・弁護士など)の生活水準が大きく向上しました。彼らは「上流階級のような生活様式」を模倣するようになり、家庭における「召使いの雇用」が一種の社会的ステータスとなりました。

社会的秩序と「雇用の恩恵」

使用人制度は階級社会における秩序維持の象徴でもあり、雇い主が「支配者」、使用人が「従属者」として明確に位置づけられていました。同時に、農村部や貧困家庭出身の若い女性たちにとっては、住み込みで働きながら食住が保障されるメイド職は、安定した収入源であり、都市での新しい生活の入り口でもありました。


メイドに採用される条件

ヴィクトリア朝時代のメイド,キッチン
年齢:主に14〜25歳の若年層(※10代で「kitchen maid」として始まり、経験に応じて昇進)
出身:農村部・労働者階級・孤児院や教会付属の学校出身者も多い
教育:読み書きのできることが最低条件とされることもあったが、多くは実地で学んだ
特性:誠実・勤勉・礼儀正しいことが重視され、推薦状(character)も重要な採用基準となった


メイドの階級と職種の構造

ヴィクトリア朝のメイドは、職務と権限の違いに応じて明確に階層化されており、大邸宅であれば数十人の女性使用人が役割分担されていました。一部のメイドについてご紹介します。

上級メイド

エドワーディアン朝時代のメイド

レディースメイド(Lady’s Maid)

役割:​貴婦人の身の回りの世話を担当し、衣類の管理、美容、旅行の同行などを行いました。
特徴
​高い技術と信頼性が求められ、他の女性使用人よりも高い地位にありました。
主人である貴婦人の身の回りを世話する、最も格式高い女性メイド。衣類・装飾品の管理、美容、旅行の同行などを担当。
語学力(イギリスの場合はフランス語などの第二言語)が問われており家柄についてもどこの家柄か分からない地方出身が多い他のメイドとは違い家柄が分かると良いされていました。貴婦人の直轄の使用人でハウスキーパーの影響を受ける事はありませんでした。

男性使用人のヴァレットと同じ業務でした。

※画像はヴィクトリア朝時代の次のエドワーディアン朝時代の可能性が高いですが
イメージ画像として記載いたします。
白衣の医療者と患者が両手でハート型のオブジェを包み込んでいる

ハウスキーパー(Housekeeper)

役割
リネンや食器の管理、食材や日用品の発注など、家事全般の計画と実行を担当​家計簿の作成、請求書の支払い、領収書の保管など、家計の管理も重要な職務。また、ハウスキーパーは、レディースメイドやヘッドナースを除く、すべての女性使用人(例:ハウスメイド、ランドリーメイド、パーラーメイドなど)を管理。

特徴:​家の中で最も高い地位の女性使用人であり、他の使用人から婚姻状況に関係なく「Mrs.」と呼ばれることが一般的でした。
屋敷の部屋すべてのカギを持っており鍵の「ジャラジャラ」という音が聞こえると、メイドたちに緊張が走ったとのこと

男性使用人の執事と同等の位で執事と協力して屋敷の運営を行っていました。


中級メイド

パーラーメイド(Parlour Maid)

役割
応接室や食堂の清掃:​家具の埃取りや磨き上げ、カーテンの整備などを行い、常に清潔で整った状態を保つ業務。
食事の準備と給仕:​朝食、昼食、夕食のテーブルセッティングや後片付け、アフタヌーンティーの提供などを担当。
訪問者の対応:​来客時にはドアを開け、応接室へ案内し、必要に応じて飲み物や軽食を提供。
細かな家事:​リネンの修繕や、必要に応じて主人の手伝い

特徴:​応接室の対応がある家の「顔」となる部分を担当するため、常に清潔で礼儀正しい態度が求められました。来客の対応もあり、容姿端麗で服装なども他のメイドと違い装飾がされた服装を着ていた屋敷もありました。

フットマンの代わりに雇われている側面もあり、業務はフットマンと同じでした。


下級メイド

執事,家令,フットマン,ヴァレット,黒執事,解説

スカラリーメイド(Scullery Maid

役割
厨房の清掃:​床、シンク、調理器具などの徹底的な掃除。
食器や調理器具の洗浄:​皿、鍋、フライパンなどを洗い、乾燥させて収納。
火の管理:​朝早く起きて、厨房のストーブやボイラーに火を入れ、調理やお湯の供給。
食材の下処理:​野菜の皮むき、家禽の羽むしり、魚のうろこ取りなど、調理前の準備作業
廃棄物の処理:​調理中に出る生ゴミや廃棄物を適切に処理し、厨房の衛生を維持

特徴:​これらの作業は、肉体的に非常に厳しく、長時間にわたる労働を伴いました。​スカラリーメイドは、他の使用人たちの業務を円滑に進めるための基盤を支える存在でした。


イギリスと他国の比較

フランス

使用人文化はイギリスに似ていましたが、より洗練された「文化的職能」が重視され、ファッションや礼儀作法に関する訓練が徹底されていた。
「Femme de chambre(部屋付き女性)」:​主婦人の身の回りの世話を担当し、衣服の管理や身支度の補助を行う。​
「Bonne(若い女中)」:​掃除や洗濯などの家事全般を担当する。​
「Gouvernante(教育係)」:​子供の教育やしつけを担当し、家庭内での教育的役割を果たす。

フランス革命の影響

フランス革命(1789年)は、封建制度の崩壊とともに、貴族階級の権力を大きく削ぎ、使用人制度にも変化をもたらしました。​革命後、一時的に使用人の数は減少しましたが、19世紀に入ると中産階級の台頭とともに再び増加しました。​ただし、使用人と雇用主の関係はより契約的・労働的な性格を強め、以前のような家族的な結びつきは薄れていきました。


ドイツ

封建制度とプロテスタント的労働観に基づいた「家内奉仕文化」が主流。
「Dienstmädchen(家事奉仕をする若い女性)」:​掃除、洗濯、料理などの家事全般を担当。​
「Kammermädchen(部屋付きメイド)」:​主婦人の身の回りの世話や部屋の整頓を担当。

イギリスに比べると階層的な細分化は少なく、「働き手」としての色が濃い。


メイドの一日のスケジュールと勤務実態

時間帯主な業務内容
6:00起床 → 暖炉の火おこし
7:00 カーテンと窓の開放、各部屋の換気
8:00 朝食の準備と提供、配膳後の片付け
9:00~夕方部屋の清掃、ベッドメイキング、アイロンがけ、洗濯、買い出し
夕方 〜 夜夕食の準備、提供、皿洗い、翌日の準備
22:00 〜 深夜就寝(遅い場合は深夜1時にも)

休みは月に1〜2日程度で、多くのメイドは雇用主の家に住み込み、使用人用の屋根裏部屋や地下室で共同生活を送りました。


過酷な労働環境。

ヴィクトリア朝時代、イギリスの若い女性たちは、家庭内使用人として働くことが一般的でした。​1891年の推計では、15歳から20歳の女性のうち約3人に1人がこの職に就いていたとされています。​彼女たちは、メイドとして、年間£6から£12の低賃金で働いていました。​「トゥイーニー(Tweenies)」と呼ばれる、他の使用人の補助をするメイドはさらに低賃金でした。

これらの女性使用人は、税金がかかる執事などの男性使用人にくらべて安価で従順と見なされ、厳格な階級制度の中で最下層に位置づけられていました。​雇用主の期待が高く、過重労働を強いられることも多く、主人との摩擦や緊張が生じることもありました。​使用人が家の規則を破った場合、即座に解雇されることもあり、再就職の際に必要な推薦状や私物が押収されることもありました。

さらに、若いメイドたちは性的搾取の危険にもさらされていました。​
非嫡出子を出産した場合、法律で罰せられることがあり、絶望のあまり新生児を外の便所や溝、堆肥の山に遺棄するケースもありました。​これらの「犯罪」が発覚すると、裁判にかけられ、一部は慈悲を受けたものの、他は投獄や絞首刑に処されました。 ​
このように、ヴィクトリア朝時代の女性使用人たちは、低賃金、過酷な労働条件、厳しい階級制度、そして性的搾取の危険といった多くの困難に直面していました。​


制服・服装について

要素内容
色と素材黒を基調とした長袖のドレス(コットンまたはウール製) 白のエプロンとヘッドキャップを着用 明るい色や装飾的な柄は避けられ、清潔感と控えめな美しさが求められた
階級ごとの違いパーラーメイド:装飾入りのエプロンやレース付きのキャップを着用し、来客対応などの表舞台での業務に従事
スカラリーメイド:実用性重視のシンプルな作業着を着用し、皿洗いや厨房の清掃などの裏方業務に従事
規定常にアイロンがかかった清潔な服を着用 香水や化粧は禁止され、自然な外見が求められた 髪型はシンプルにまとめ、ヘッドキャップで覆うことが推奨された

Primary Source / 一次資料

メイドの職と装いを、原典で読む ―ビートン夫人『家政読本』

ヴィクトリア朝のメイドについては多くが語られますが、その多くは後世の要約です。当社および一般社団法人 日本執事協会は、ビートン夫人『家政読本』の実物を所蔵しています。

書名Mrs. Beeton’s Book of Household Management
著者イザベラ・メアリー・ビートン
初版1861年(所蔵本は20世紀初頭の増補版)
旧蔵英・リーズ大学図書館

使用人の職種一覧にお抱え運転手(chauffeur)が加わっていることが、この版の年代を物語ります。ここでは、その原典に書かれている記述をご紹介します。

パーラーメイドとは ―「フットマン一人の代わり」に置かれた

多くの家庭では、フットマンを一人置く代わりにパーラーメイドが雇われる。

Mrs. Beeton’s Book of Household Management ― 第68章「使用人とその職務」より

つまりパーラーメイドは、男性使用人を雇うほどではない家が、その役割を女性に担わせた職でした。原典が挙げる職務は次のとおりです。

  • 客間まわり掃除、花を生ける、カーテンの掛け替え、暖炉の管理
  • 応対居間の呼び鈴に応じる
  • 洗い物朝食・紅茶・コーヒーの器、晩餐のグラスと銀器
  • 銀器の管理銀器は彼女の管理下に置かれた
  • 寝室ベッドメイキングの手伝い

原典はこれを「ハウスメイドの仕事のうち、軽く、下働きでない部分すべて」と要約しています。

装いは、午前と午後で変わった

時間帯パーラーメイドの装い
午前木綿のプリント地のガウンに、簡素な白いキャップ。ハウスメイドが着ける粗い前掛けは着けず、白い前掛けを用いる
午後簡素に仕立てた黒のドレス。白い襟とカフス、白いキャップ、レースで縁取ったビブエプロン
午前に白い前掛けを用いる理由が、原典には明記されています。「いつでも呼び鈴に応じられるように」。装いは趣味ではなく、職務上の要請でした。

給仕における序列 ― 誰が執事の位置に立つか

食卓での振る舞いについては、できるかぎり音を立てずに動き、求められる前に差し出して相手の必要を先回りすることと記されています。そして序列が明快です。

  • 男性使用人が加わる場合その男性が執事の位置に立ち、パーラーメイドはフットマンの位置に立つ
  • ハウスメイドが手伝う場合パーラーメイドが第一の位置に立つ

役割は身分ではなく、その場に誰がいるかで決まりました。

収入がいくらあれば、何人雇えたのか

年収雇われていた使用人
約£200荒仕事のための若い娘ひとり
約£300万能の使用人ひとり(ジェネラル・サーヴァント)
£350〜£500料理人とハウスメイド
約£1,000料理人、ハウスメイド、そしておそらく男性使用人ひとり
同書は雇い主の側の心得として、「雇い入れるとき、その使用人が担うすべての仕事をはっきり伝えないのは重大な誤りである」と釘を刺しています。任せる範囲を最初に明示することは、当時から雇用の作法でした。

メイドの階級の全体像は執事の階級と、実際のサービスについてはハウスメイドサービスもあわせてご覧ください。

  • Isabella Mary Beeton, Mrs. Beeton’s Book of Household Management(初版1861年。所蔵本は20世紀初頭の増補版、英・リーズ大学図書館旧蔵)


メイド(使用人)の衰退

​ヴィクトリア朝時代(1837年〜1901年)には、家庭内使用人制度が社会の中核を成し、特に女性にとって主要な雇用の場でした。
​しかし、20世紀に入ると、この制度は急速に衰退していきました。
その背景には、社会構造の変化、技術革新、戦争の影響など、さまざまな要因が絡み合っています。

1. 女性の社会進出と職業選択の多様化
第一次世界大戦(1914年〜1918年)中、多くの男性が戦地に赴いたことで、女性は工場や事務職などの職場に進出しました。​これにより、従来の家庭内使用人としての職務よりも、自由度が高く、賃金も比較的良好な職業が女性にとって魅力的な選択肢となりました。​戦後も、多くの女性がこれらの職に留まり、家庭内使用人としての職務に戻ることを拒否する傾向が強まりました 。​

2. 家電製品の普及と家庭内労働の軽減
20世紀初頭から中頃にかけて、電気掃除機や洗濯機、アイロンなどの家電製品が一般家庭に普及しました。​これにより、従来は使用人が担っていた家事労働が大幅に軽減され、家庭内での労働力の必要性が減少しました。​特に中産階級の家庭では、これらの機器の導入によって、使用人を雇う必要性が薄れました 。​

3. 社会的価値観の変化と個人の自由の重視
20世紀に入り、個人の自由や平等を重視する社会的価値観が広まりました。​これに伴い、長時間労働や住み込み勤務、厳格な上下関係といった家庭内使用人の労働条件が敬遠されるようになりました。​特に若い女性たちは、より自由で自立した生活を求め、家庭内使用人としての職務を避ける傾向が強まりました 。

4. 戦争による社会構造の変化
第一次世界大戦および第二次世界大戦は、社会構造に大きな変化をもたらしました。​戦争中、多くの女性が労働力として社会に進出し、戦後もその流れは続きました。​これにより、家庭内使用人としての職務は次第に時代遅れと見なされるようになり、制度としての存続が難しくなりました 。​

記事執筆者・監修者

梶原 優太
(Kajiwara Yuta)

日本バトラー&コンシェルジュ株式会社
経営企画部兼バトラーサーヴィス部所属
社長補佐
役職:バトラー

実績
執事監修・演技指導
・ショートドラマ 「BUTLER」
小山慶一郎様と 宮舘涼太様に対し、執事所作指導を担当

・音楽劇『謎解きはディナーのあとで』
主演の上田竜也様、大澄賢也様に対し、執事所作指導を担当
演出執事監修

日本執事学校 IN VRChat講師
日本メイド学校 IN VRChat講師


一般社団法人 日本執事協会
特任研究員 

一般社団法人 日本執事協会 付属 メイド学校
校長

一般社団法人 日本執事協会 附属 日本執事学校
講師
主な授業内容(執事史、メイド史)

上部へスクロール