黒執事が舞台の時代の執事と現代の執事の違い

初めに

『黒執事』(Yana Toboso作)の舞台である19世紀ヴィクトリア朝イギリスにおける執事(バトラー)と、現代社会における執事の役割には、大きな違いがあります。本記事では、ヴィクトリア朝時代の執事の実態(役割・地位・服装・教育・人間関係など)と、現代の執事(主に英語圏と日本国内の執事サービス)の職務内容や立ち位置を比較し、その違いを詳しく解説します。

黒執事が舞台の歴史とは

ヴィクトリア朝時代(19世紀)のイギリスでは、執事は大邸宅における使用人階級の最上位に位置する存在でした。

執事は「家令(ハウススチュワード)」に次ぐ高位の家事使用人であり、主人の館に仕える男性使用人たち(従僕=フットマンや下男など)全員を統括する責任者でした。執事は主人一家の財産管理やワインセラーの管理、来客の応対、正餐(フォーマルな食事)の給仕など、屋敷内のあらゆる家事管理と社交業務の中心を担っていました。いわば主人の秘書的な役割も兼ねており、主人に代わって屋敷を取り仕切る存在だったのです。

執事たちが並んでいる、日本執事学校

黒執事の世界を知る

当時、どれだけ多くの使用人を雇えるかが家の社会的ステータスを示す指標でした。執事は男性使用人の頂点であり、執事を雇える家はそれだけで上流階級の証とみなされました。実際、19世紀のイギリスでは男性の室内使用人(執事や従僕)を雇うことに課税がされており、1名につき年間2〜7ポンドの税金が必要でした。当時の一般的な事務職の一家の生活費が月5ポンド程度だったことを考えると、この税はかなり高額であり、執事を持つこと自体が贅沢で富裕の象徴だったと言えます。
言い換えれば、執事は裕福な貴族や資産家の邸宅にのみ存在し、中流以下の家庭ではまず雇えない特別な存在でした。

『黒執事』の物語でも、主人公シエル・ファントムハイヴ卿に仕える執事セバスチャンの振る舞いや役割を通じて、当時の貴族と使用人の関係や執事の重要性が描かれています。セバスチャンは主人の指示に完璧に応え、屋敷中の仕事を滞りなくこなしますが、その完璧な執事像はイギリス文化に根付く執事という職業の典型を体現しています。執事は社交や家の維持管理を担う極めて重要な役割であり、厳格な主従関係とマナーのもと主人に仕えました。
このようにヴィクトリア朝時代の執事は、使用人としては最高位でありながら、主人から厚い信頼を得て邸宅運営を任される大黒柱的存在だったのです。

ヴィクトリア朝時代

ヴィクトリア朝時代に執事になるには?

ヴィクトリア朝時代、執事になるための学校や資格試験などは存在せず、使用人の少年たちは長年の実務経験を積み重ねることでキャリアアップしていきました。
典型的には、農村出身の少年が12〜13歳頃に親戚やコネを頼って地元の商家や中流家庭の屋敷に「下男(ホールボーイ)」として住み込みで働き始めます。
ボーイとして掃除・雑用など下働きをしながら使用人としての基本を覚え、ある程度経験を積むとより大きな屋敷へ転職し、更にそこで経験を積んだ後に今度は従僕(フットマン)として別の名門邸に転職する、といった具合にステップアップ転職を繰り返しました。当時は一つの屋敷に執事のポストは1つしかないため、内部昇進の機会は滅多にありません。したがって野心ある男性使用人は他家へ移ることでしか昇格できず、これが女性使用人(結婚で退職する例が多かった)との大きな違いでした。
フットマンになる段階では容姿のハードルも存在しました。執事への道を歩むにはまずフットマンとして成功する必要がありますが、当時フットマン採用では仕事の手際よりも見栄えの良さが重視されました。もし十分に背が伸びない少年はそこで出世の道が絶たれてしまうこともあり、「最低でも身長170センチはないと厳しい」と言われたほどです。幸運にも体格に恵まれフットマンとして実績を上げた者だけが、晴れて執事職への転職というチャンスを得て、念願の執事に昇進できたのです。

しかし、執事になれたからといって皆が大勢の部下を指揮する豪邸に勤められたわけではありません。当時の現実として、大半の執事は自分以外に男性使用人がいない家に一人だけ雇われていたようです。名目上は執事でも実際には従僕(フットマン)的な雑務までこなさねばならず、「あまり裕福でない中流家庭ではステータスシンボルとして執事だけ雇い従僕は不在」というケースも珍しくありませんでした。収入1万ポンド程度の家ではメイドが3〜4人と男性使用人は執事1人が精一杯で、本来執事が部下に指示して行うべき力仕事も自らやる“名ばかり執事”も多かったのです。

もちろん、上流貴族や大富豪の館に奉公できた一握りの執事たちは、多数の従僕やメイドを従えて威厳ある「執事長」として振る舞いました。彼らは自分の部下である従僕たちに雑用や重労働を任せ、自分は晩餐の統括や主人への報告業務など要職に専念しました。その姿は若い従僕たちにとって妬ましくもあり、「いつか自分も執事に昇りつめてやる」というモチベーションになったことでしょう。事実、「使えない嫌な上司だ」と陰口を叩かれながらも、執事たちは悠々と館を動かし、従僕たちはその悔しさをバネに自らのキャリアアップに励んだようです。

執事の主人との関係は極めてフォーマルかつ緊張感のあるものでした。執事は階級上は使用人=労働者階級に属しながらも、主人一家の私的な空間に深く関わる存在です。そのため主人から厚い信頼を得る一方で、一線を越えない距離感と礼儀が常に求められました。主人への呼びかけは「旦那様」「ご主人様」と尊称を用い、決して無礼な態度を見せません。『黒執事』のセバスチャンとシエルの関係も契約に基づく主従関係ですが、執事としてのセバスチャンの礼節と忠誠は19世紀の執事の在り方そのものです。執事は主人一家の秘密を守り、家庭の内情を外部に漏らさない口の堅さも重んじられました。この点は現代の執事にも通じる職業倫理と言えます。

ヴィクトリア朝時代

現代の執事について

時代が下り20〜21世紀になると、家事使用人を多数抱える習慣は西洋社会では廃れていきました。とはいえ執事という存在自体は現代でも消滅したわけではありません。富裕層の邸宅や要人の私邸では今なお執事が雇われており、その役割は時代に合わせて進化を遂げています。現代の執事は、かつてのように大勢の使用人を管理する「使用人の長」というより、秘書・運転手・側近の三役を兼ねたような存在になっています。家政婦やメイドなどのスタッフを統括するケースもありますが、むしろ主人個人に寄り添ったパーソナルアシスタントとしての業務が中心です。

具体的に現代の執事が担う職務は多岐にわたります。一例を挙げると

スケジュール管理:主人(雇用主)のスケジュール調整や予約代行。出張や旅行の手配、レストラン・チケットの予約も含まれます。

身の回りの世話:主人やその家族の日常的サポート。たとえば子息の学校送迎や、主人宅への来客対応、パーティー準備など。

資産・所持品の管理:主人の資産管理の補助や、高級車・住宅の維持管理、ワインや美術品コレクションの管理、衣服の管理(バレイ=従者業務)など。

執務・秘書業務:主人の代理でメールや電話対応をしたり、ビジネス文書を管理する。必要に応じ主人のビジネス面をサポートする執事もいます。

その他の雑務全般:買い物の代理、贈答品の手配、健康管理のサポート、さらには主人の話し相手や付き添いとして同行することまで、主人のライフスタイル全般を支える万能選手です。
このように現代の執事は、一言でいえば一生涯にわたって主人に仕える「プライベート秘書」であり、主人のあらゆるニーズに応えるコンシェルジュ兼マネージャーとしての役割を果たしています。
また、現代では執事になるための専門教育機関(バトラースクール)が各国に存在します。

もはやフットマンから叩き上げて執事になるケースはほとんどなく、ロンドンの執事養成学校では週末だけの入門コースから5週間にわたる本格コースまで用意されているといいます。例えばオランダに本部を置く国際執事アカデミーや、英国のバトラー養成校では、給仕作法やテーブルマナーからワイン知識、邸宅管理、メイドや運転手など他スタッフとの連携方法に至るまで、執事に必要なあらゆるスキルを習得できます。日本でも後述するように短期集中の執事研修コースが開催されており、未経験からでも必要な素養を身につけることが可能です
このような体系的トレーニングを経て輩出された新人執事たちが、現代の富裕層に仕える人材として供給されているのです。

現代の執事と雇用主の関係は、昔ほど硬直的な主従関係ではないにせよ、やはり絶対的な信頼高い倫理観に支えられています。執事は主人のプライベートな生活に深く踏み込む存在であり、その守秘義務と忠誠心は何より重要です。執事はどんな要求にも基本的に「NO」とは言わず、可能な限り主人の要望を叶えるよう創意工夫します。同時に主人の秘密を守り抜き、誠実かつ忠実に仕えるプロフェッショナルです。まさに主人から「人生の一部」として信頼される存在になることが、現代の執事の理想像と言えます。

例えばアメリカ合衆国大統領官邸であるホワイトハウスでは、多数の執事が雇用されていますが、その採用にあたっては一流ホテルやレストランで経験を積んだ優秀な人材をヘッドハンティングしており、高度なサービススキルと守秘能力を持つ人が選ばれています。主人の重要機密に触れる場面もあるため、信頼に足る人格と有能さを兼ね備えた執事だけが任用されるのです。
なお、執事サービスの需要は21世紀に入り新興国を中心に再び高まりを見せています。中国・ロシア・中東など新たな富裕層が台頭した地域では、英国式の教養と作法を身につけた執事への需要が高まっており、腕利きの執事ともなると**年収15万ポンド(約2500万円)**に達する例も報じられています。伝統的な執事像は英国発祥ですが、現代では世界中の富豪がそのサービスを求め、執事はグローバルに活躍する職業へと変貌しつつあります。倫理と言えます。

記事執筆者・監修者

梶原 優太
(Kajiwara Yuta)

日本バトラー&コンシェルジュ株式会社
経営企画部兼バトラーサーヴィス部所属
社長補佐
役職:バトラー

実績
執事監修・演技指導
・ショートドラマ 「BUTLER」
小山慶一郎様と 宮舘涼太様に対し、執事所作指導を担当

・音楽劇『謎解きはディナーのあとで』
主演の上田竜也様、大澄賢也様に対し、執事所作指導を担当
演出執事監修

日本執事学校 IN VRChat講師
日本メイド学校 IN VRChat講師


一般社団法人 日本執事協会
特任研究員 

一般社団法人 日本執事協会 附属 日本執事学校
講師
主な授業内容(執事史、メイド史)

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